
ジャズピアニストを目指して、広島で演奏しています。
執筆中毒なので、欲求を満たすままにブログを更新中。
なかなか気付かれないこのページ。
自分でも存在を忘れていますが、たまに更新しています。
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【あいま】2022.7.17.更新
<幼少期~小6>
ヤマハ音楽教室にて5歳からエレクトーン、6歳からピアノを習う。
ヤマハのおじさんに頼まれ、エレクトーンの新機種発売時に、デモ演奏であちこち回って演奏したりする。バイト代が出ていたかどうかは不明。
講師になれる演奏資格の試験に小5で合格し、少しざわつかれる。
作曲を平部やよい氏に学ぶ。自作曲がヤマハの講師向けの冊子に掲載されたりする。
当時流行っていた「インサ」という球技で、小学校内の最強プレイヤーに登り詰め、男子にも恐れられる。
運動会では毎年リレーで活躍。
休憩時間には教室のオルガンでリクエスト曲を弾きまくるソロLIVE状態。
学級委員、バトミントンクラブ部長、飼育委員会委員長。
小6が私の人生のピークだった。
<中学~高校時代>
作曲で受賞し、中国新聞社で表彰される。
表彰式の際、中国新聞社のエレベータ内で手塚治虫氏に遭遇するが、残念なことに記憶がほぼない。
ラジオにはまる。常連番組2つのハガキ職人。
この頃より執筆中毒化。音楽雑誌「Guiter book(GB)」のライターになりたいと思い始める。
DJのまねごとをして、ダブルカセットラジカセで録音したりする。
尾崎豊、浜田省吾に染まる。
高校をさぼって帰宅してまでピアノの練習に明け暮れる。
どうしても出たかった「高校生クイズ」に応募するも、収録日がピアノのレッスン日と重なり、参加をみっちゃんに譲る。
通っていたエリザベト音大の先生のレッスンで「あなた、クラシックに向いていないわね」と言われる。
<大学時代>
地元広島の音大ピアノ科(クラシックピアノ)に入学。
廣澤久美子氏に師事。
入学と同時に井の中の蛙だったことに気づき、ピアニストの夢をあきらめる。
在学中よりピアノの講師を開始。
ただただピアノが弾きたかったのに、ピアノを続けるには指導者の側になるしかなく、ピアノ講師を天職だと思うようになるが、卒業後はあまりピアノを弾かなくなる。
<20~30代>
色々あった。そのうち書くかも書かないかも。
<40代>
人生のどんぞこを経験する。
「あ、ここどんぞこじゃん?」と気づいた瞬間、浮上する。
<2017年>
2017年3月24日、バンバンバザールのライブで、Fuming(フーミン)さんのピアノを聴いてジャズにはまる。
ジャズピアニストとして演奏活動ができるようになるぞー、と決意。
バンバンバザールの広島でのLIVEに、ピアノのサポートで入れるようになることを最終目標とし、ぼんやりと5年後と期限を定める。
という経緯で、久しぶりにピアノの練習を再開する。
ある人から「もっと人前で弾くべき」と言われ、調子に乗ってその気になる。
2017年4月より、なかにし隆氏にジャズピアノ、モンゴル松尾氏にポップスと作曲を教わる(現在レッスンおさぼり中)。
<2020年以降>
2020年よりニューオリンズジャズバンド『広島ホットキャッツ』に参加。
2022年5月4日、セトウチジャズキャッスルへ『La abeja reina』で出演。
音楽を一緒に作り上げていくことの面白さにはまる。
2022年7月8日、マリーナマリオエスプレッソでのLIVEを最後に『広島ホットキャッツ』を卒業。
「ジャズピアニストって言えるようになるんじゃーー」と何人にも宣言し、にっちもさっちも行かない状況に自分を追い込む。